こんにちは!オーナーのMISAです。今回はテキサス州でファイナンシャルコンサルタントとしてご活躍されている傍ら、ビジネスネットワーキンググループのホストを務めているIrma Mospanさんに、ファイナンシャルコンサルタントになった経緯や、テキサスでの暮らしについてお伺いします。
祖国を離れ、苦難を乗り越えた先に巡り合った人との出会い
Misa: 改めて自己紹介をお願いします!どのような経歴を築かれてきたかについても教えてください。
Irma Mospanと申します。私は18歳のときに祖国のドイツを離れて、アメリカへやってきました。移住したばかりのときはメイン州に住んでいました。そして、当時25歳だったロシア人の夫と結婚しました。私は高校を中退していて、英語も話せない状態でした。さらに私は過去に摂食障害にも苦しんでいました。
そんな経緯もあって、自分たちの力で、自分たちの人生を切り開いていきたいという想いがありました。19歳でダイレクトセールスを始めました。ダイレクトセールスとは、食器やサプライ品などを販売するセールスのことです。

Misa:お客さんの家に直接行って、訪問販売していたということですか?
家を訪問して、プレゼンテーションをして商品を購入してもらって、また別のプレゼンテーションを予約して・・・と繰り返していきます。この時に、私は仕事を通じて人との繋がりを持ち始めました。
Misa:ダイレクトセールスは楽しかったですか?
ええ! まず、家から出られましたからね。当時私の周りには友人も居ませんでしたし、家族にもすぐに会うことができませんでした。この仕事に就いたのは、私の人生にとって大きな出来事でしたね。この仕事がきっかけで、自分が人との繋がりを大事にしたいタイプだと気づいたんです。 当初は辛かったですけどね、全てを捨ててこの新天地に来たので…。 でも、実はそのあと24歳の時に大きな成功を成し遂げます。国内1位のセールスになり、雑誌私の記事が掲載されたんです!
テキサス州への訪問が、その後の人生に彩りを添えた
Misa:そもそも、テキサス州へやって来られた最初のきっかけは何だったのですか?
病気のせいで学校に通うことができなくなって、16歳の夏に母が私をテキサス州へ送りました。そこで夫と出会い、ドイツへ戻った後も彼とはたまに連絡を取り合っていました。そして18歳でアメリカに再び戻り、彼と結婚しました。
Misa:そうだったのですね…!加えて、Ilmaのご家族はとても国際的ですよね!
はい、26歳の長男はドイツ人の女性と結婚しました。彼の父親と同じように移民ビザを取得して結婚し、小さな娘がいます。それから真ん中の娘は、彼女が17歳の時に私たちがウクライナから養子に迎えたのですが、彼女はブラジル人と結婚しました。以前の交際相手との間で授かったアフリカ系アメリカ人の息子と、彼女たちには小さな娘がいます。末娘はアメリカ人と結婚して、今双子を授かっています。今年末には孫が5人になりますね!
ファイナンシャルコンサルタントへの道
Misa:お仕事はファイナンシャルサービスですね。ファイナンシャルコンサルタントを一言で表すと…?
ズバり、人助けですね!お金の面で人助けをすることです。多くの人はお金を稼ぐことが得意だとしても、お金に関する計画が不十分なことが多いのです。
Misa:確か40歳になったとき、あることに気付いたと仰っていましたよね。
自宅の購入資金を支払うくらいの稼ぎはきちんとありましたが、退職金積立はありませんでした。投資には一切目を向けていませんでした。なんだか、株式市場に手を出すのは怖かったし、株式を心底信用していなかったのです。なので、株式市場とは無縁で、大抵が保険に関わる投資くらいで、常にリスクが低いものにしか手を出せていませんでした 。
そして保険に関する投資が資産形成のひとつの選択肢だと気づいたときは、家族にとっても必要だと感じてあまり考え込まずに投資することに決めました。ですが、私の姪が夫を亡くし、夫の従兄弟が亡くなったその時に気がついたのです。家族は互いにくっついているわけではなく、それぞれが自分の人生を歩んでいるのだと。そして、多くの人々は生命保険に加入せずに生活している。遺書もなければ、財産計画も、退職金積立もなく…。そうすると、リタイアを迎える頃には資金尽きてしまうんです。
Misa:早く行動することが重要ですね。
若いうちから始めれば始めるほど、保守的な選択肢を選ぶ必要性が低くなりますね 。
インタビューはPART2に続きます。
翻訳・執筆者:岩田百合香(津田塾大学 学芸学部国際関係学科)